「みんなのひろば」は自衛隊員や隊員の家族、自衛隊に協力している方々などの手記をご紹介しています。本日紹介するのは、42年間にわたる予備自生活を終える関谷予備准陸尉です。

「予備自の今後を楽しみに」後進に対する思い
関谷 悦史 予備准陸尉(札幌地本)

 約40年前、自衛隊生活を一任期で終えて退職する日、普段から厳しい訓練陸曹の一言に言い返せず始まった予備自衛官生活。

 予備自に採用された当初は、東京・朝霞の部隊で訓練を受けていました。当時の訓練は5日間外出禁止の泊まり込み。夜間訓練も当たり前に実施していました。隊友会の活動も盛んでした。

 北海道に来てからは、訓練や周りの環境など、東京との違いにあ然としてしまいました。招集訓練を通して多くの知己を得ました。東京にいる頃は仲間と会うことを目的に予備自衛官を続けていた気がします。

 日本を取り巻く安全保障環境がますます厳しくなり、周辺国の活動やテロも活発化してきている情勢を目の当たりにし、真剣に国防について考えるようになりました。「何かがあれば第一線へ」と。

 毎年、招集訓練に合わせて身体を作っていましたが、ここ数年、プライベートで精神的に落ち込んだこともあり、トレーニングの質・量ともに高い水準を維持することが難しくなってしまいました。オールドソルジャー・ネバーダイ[古参兵は不死身だ(筆者訳)]を座右の銘として続けてきましたが、そろそろ限界でしょうか。

 東日本大震災、あの時ほど予備自として悔しい思いをしたことはありません。当時、たくさんの自衛隊員が災害派遣で活動しました。そして、予備自等制度創設以降初めての即自・予備自の災害招集がありました。これは自分も招集がかかると思い準備をしていましたが、結局招集はかかりませんでした。弟や息子は現役の自衛官として現場に出ているのになぜ予備自の私は出られないのか、というもどかしい思いでいっぱいでした。

 大きな災害を目の前にして、個人でできることの限界を思い知らされました。半年後、会社の業務で復興支援のために被災地に赴きましたが、被災直後に動けなかったことが悔やまれます。

 最近入ってくる若い予備自(常備自衛官を任期満了退職した隊員や予備自補からの任用)の訓練や国防に対するやる気はすごいなーと思っています。

 ただ、そのやる気が空回ってしまっていることがあります。自衛隊経験の少ない任期満了退職隊員や、自衛隊経験のない公募予備自に対しても、それぞれの階級に応じた適切な教育を徹底して受けさせ、自覚や目標を持たせることで、予備自としてのやりがいや達成感を感じることができれば、本人たちのモチベーションの維持、予備自の魅力化という点で随分と違うのではないでしょうか。この有能な若者たちをうまく導いていただけることを願ってやみません。

 振り返ればあっという間に過ぎた40有余年、これで終わりと思うと寂しくはありますが、予備自の今後を楽しみにしています。

     ◇ 

 関谷予備准陸尉は今年4月をもって42年間にわたる予備自生活を終了する。

画像: 方面総監顕彰状を授与(札幌地方協力本部長より伝達)

方面総監顕彰状を授与(札幌地方協力本部長より伝達)

画像: 関谷 悦史 予備准陸尉

関谷 悦史 予備准陸尉


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