今回、岩見沢駐屯地を取材対象とした大きな目的の一つに、「坑道中隊」の存在があった。全国で3個しかない中隊。有事の際、陸自のミサイル発射機や車両などを敵の攻撃から防護するためのトンネル(坑道)を掘削する部隊だ。同駐の302坑道中隊(隊長・高野1陸尉)は平成8年3月の発足以来、戦闘支援部隊としてさまざまな訓練を続け、協同連携能力の向上に努めてきた。来年春の部隊改編で廃編となる前に、今回、最後の検閲となる活動に合わせ、取材することができた。

 この度の取材にあたり、第302坑道中隊新編から所属しているレジェンド隊員に思いの丈を語っていただきました。

第302坑道中隊を見つめて28年余ー廃編を迎えてー|野口義孝1陸曹

 平成8年3月、岩見沢駐屯地にて産声を上げた第302坑道中隊は、令和6年3月、28年あまりの歴史に幕を下ろすこととなりました。陸上自衛隊において部隊改変が進む中で仕方の無いことだとは思いますが、新編時から中隊に所属し、「新編当初から廃編まで途切れることなく、中隊の一員として任務に従事して行くことになるとは」新編当時には夢にも思いませんでした。

 平成7年1月から4月上旬までの間、私は施設学校で実施された第131期初級陸曹施設課程に入校しました。その時、装備展示品として鎮座していた坑道掘削機を見て、「自分も操作してみたいな」と思いましたが、当時は既に編成されていた第301坑道中隊の存在も知りませんでした。ましてや第302坑道中隊が新編されるとも思ってもいなかったので漠然とした憧れでしかありませんでした。

坑道中隊の新編要員として

 当時私は、真駒内駐屯地の第11施設大隊第3中隊に所属しており平成7年8月頃に中隊長から全員に対して岩見沢で新編される坑道中隊の要員としての異動希望調査がありました。

 私は新隊員からお世話になった中隊に何も貢献出来ていないと後ろ髪を引かれながらも勝田駐屯地で抱いた思いに従い希望の手を上げました。

 大隊内で異動者数3名に対して、10名程度の希望者が居ることを中隊長から聞き半ば諦めていましたが、縁あって3名の枠に入ることが出来、平成8年3月希望を胸に岩見沢駐屯地の門をくぐりました。

 坑道中隊は、通常編成で中隊本部、1個設計小隊、2個坑道小隊で編成されています。設計小隊は、各種条件を加味した坑道掘削適地の決定及び坑道の設計、坑口部の構築が主な任務となり、坑道小隊は、設計小隊が構築した坑口部から所命の深さまで坑道を掘り進めることが任務となります。

初めての異動は緊張の連続

 異動当初は、初めての異動と年齢的にも若手3曹ということで緊張の連続でした。初代中隊長の人選による個性的な先輩隊員も多かったのですが、偶然にも陸教と施設学校で同期だった隊員が1名いましたので、心強いものがあり、その同期を介して中隊の隊員と打ち解けることが出来ました。

 私は、中隊本部の車両班で記録係陸曹として坑道器材の整備管理を行いましたが、坑道に係る訓練では、坑道掘削地域の偽装、掘削機の掘削準備、掘削した土砂の処理、掘削した坑道を支える支保工の建込、コンクリート吹付時の器材準備及び洗浄等右も左もよくわからないない中で、ただ指示されたことを一生懸命に実施していました。

 恒常業務も訓練も初めてのことばかりで先輩に教えてもらってばかりの私に不甲斐なさを感じる毎日でした。そんな日々にあっても訓練を重ねるごとに吸収出来ることが多く、自分で考えて実施出来る事が増えるにつれ喜びを感じる場面も多くなりました。

やっと一人前のトンネルマンに

 中隊所属4年目の平成12年8月に、施設学校へ今度は初級陸曹坑道課程学生として入校し、これまでの経験と施設学校で教わった新たな知識をもって、やっと一人前のトンネルマンになれた気がしましたが、実際の坑道構築に関する技術についてはまだまだこれからだと強く感じました。

左 平成13年当時

平成13年当時

 教育終了後の翌3月末に、掘削機操作陸曹として坑道小隊掘削班に配置されましたが、当時はまだ坑道中隊新編前の準備隊から携わっていた先輩達が数多く残っており、坑道掘削機操作陸曹として私の出る幕はあまり多くはありませんでしたが、先輩による、より熱心な指導と、これまでと違う着眼をもって訓練に臨み、少しでも掘削機に触れられる機会があれば積極的に操作し、自己の練度向上に努めました。そして月日は流れ、平成16年7月の中隊訓練において、ついに掘削機操作陸曹として坑道を1メートル掘進出来ることになりました。

いよいよ掘削...しかし見えてはいけないものが?!

 訓練場所は北海道大演習場島松地区ジェット台でした。

 準備を整え、班長による誘導に従い、私は掘削機を操作して慎重に掘削を行っていました。坑道の断面は馬蹄形をしており当初は馬蹄形の上半アーチが始まるより下を掘削し、掘削により堆積した土砂等を排除したのち掘削機を若干前進させてアーチ上部の掘削を開始した直後でした。

 天端に掘削機のドリルを当てて掘削すると明らかに掘削した以上に土砂等が落下し始めました。

 現場にいた誰もが異常を感じ、班長から掘削を止めてドリルを下げるよう指示を受けた途端に、天端付近の一部が崩落しましたが、幸いにも巻き込まれて負傷した隊員は出なかったものの、後には見えてはいけない澄んだ青空が顔をのぞかせていました。

 私は当初、何が起こったのか理解できませんでした。振り返ると、その訓練場所は掘削を開始したばかりで、土被りは薄く、雨水による風化も進み崩れ易くなっていて、難しい岩質でした。

 私が掘削機を操作したのは後輩の育成もありこれが最初で最後となりました。

 この一件が私の中で一番印象に残っている出来事になりました。

新たなやりがい

 それからの私は、事務職を主に任されることが多くなり、私の行う業務で中隊の一部を支えていることに、新たなやりがいを見出し、記録係陸曹、配車係陸曹、通信陸曹、保全陸曹、補給陸曹、管理官補助者等の役職に就き今は人事陸曹として勤務しています。

訓練検閲時の野口1陸曹

 年齢も新編当時は23歳でしたが、今ではもう、51歳になりました。その長い年月の中で坑道中隊の隊員として多くの事を経験し、多くの人と関わり、多くの事を学ばせてもらいました。

 最後になりますが、第302坑道中隊の一員として新編当初から廃編の最後までを見届けることに、書き尽くせない思い出が沢山あります。寂しい思いも大きいですが、自衛官として残りの時間を第302坑道中隊で培った経験と知識をもって後進の育成に役立てて行きたいと思います。

素敵な笑顔で応える野口1陸曹
※写真(岩見沢駐屯地提供)


◆関連リンク
陸上自衛隊 岩見沢駐屯地
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*今回の特集は日刊紙と一部構成を変更しております。ぜひPDF版で日刊紙もお楽しみください。**

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