北の大地の護りを担う陸上自衛隊岩見沢駐屯地(司令・山下1陸佐)は今年、創立70周年を迎える。全国でも3個中隊しかない「坑道中隊」を有するなど、主に施設科部隊を主体とした集団だ。近隣の炭鉱と港湾都市を結ぶ列車の一大拠点として栄えた岩見沢市の発展とともに、防災訓練行事の支援や、装備品展示、社会貢献活動など、地域住民の安全・安心、地域コミュニティーの維持・活性化にも大きく貢献してきた。近年は、戦闘様相の変化に伴い、「ITC(情報通信技術)施工」を推進するなど、新たな活動にも積極的に取り組んでいる。

戦闘様相が変化、「ITC施工」推進
作業速度、正確性、安全性も向上

 建設現場の生産性向上を目的に、国土交通省が現在、進めている情報通信技術を活用した「ICT施工」。12施設群を隷下に置く陸自3施設団もまた、戦闘様相が変化したことに伴って「ICT施工」を推進している。

 山下司令によると、ICTの活用は、(1)作業速度、意思決定速度を向上させる(2)正確、精緻性を向上させる(3)省人化・無人化を推進すーの3点をすることにより、施設作業そのものの速度が速くなり、少ない人数で正確な作業となるため、作業量が大きくいろいろなことができるようになる。「施工速度が速くなり、最新テクノロジーを使っているので、正確性、安全性も向上している」(山下司令)という。

 たとえば、ドローン。レーザースキャンのような測量機材が進歩しており、簡単に3Dの測量ができるようになったことで3Dの設計図が出てくる。それに基づき、機械が半自動的に動いてくれて、熟練者を育てるまでの時間が短縮できる。作業が早く、正確、かつ少人数できるというところにメリットがあるのだという。

 その機械を扱う教育について山下司令によると、「業者による機械の取り付けおよび教育を受講し、その内容を『部隊・隊員に普及していく』要領により、自分たちでもできるようになっていくという流れを構築していく」という。

 機械の練度は、ある程度一定の年数がかかるが、山下司令は、「こうしたところを補足してくれるのがICT技術。早く戦力化できるというのは、非常にメリットだと思っている」と強調している。

ドローンで3D測量が容易に
熱源感知機能で災派に活躍

 本部管理中隊・偵察班の神田2陸曹らによると、ドローンの実際の飛行時間は約15分。コントローラーから4キロぐらい離れても操作でき、サーモグラフィーという熱源感知機能もついており、モニターで確認できる。基本的には、災害用のドローンで災害派遣時に使っているという。

神田2曹:本部管理中隊・偵察班(岩見沢駐屯地提供)

神田2曹:本部管理中隊・偵察班

 人を感知できるようにサーモグラフィーの機能がある。地上災害における山の遭難者の発見に役立つ。3年前の熊本の土砂災害のほか、昨年、一昨年にも運用した。

片倉2曹:本部管理中隊・偵察班

 カメラの性能が高く、動画や静止画を撮ることができる。ドローン機体そのものにおいても動画や静止画を保存することも可能。声を掛け合って連携し、安全に操作しながら遭難者の捜索を行っているという。

92式地雷原処理車
一度の処理で通過可能に

 岩見沢駐屯地が持つ装備の一つに「92式地雷原処理車」がある。前進する部隊の行動を妨害するために敵が敷設した地雷原を爆破・啓開する自走式の地雷原処理装置だ。

92式地雷原処理車

92式地雷原処理車

 399施設中隊所属の小山内1陸曹と同、白石3陸曹によると、処理はリスクを伴い、発見した場合は手で処理したり、爆薬により爆破するなどいろいろな方法があるという。

 車内で距離や角度などを設定し、ボタンを押せば処理弾が地雷原に向けて投射され、爆破して車両や戦車が通れる。一度の爆破処理で車両などを通過させることができる機材に、「すごく優れています」と小山内1曹は胸を張った。

手前 小山内1曹:第399施設中隊
奥  白石3曹:同

白石3曹:第399施設中隊

粘土質の活用考え“陶芸部”発足

 岩見沢駐屯地には、58年続く「陶芸部」がある。第7代「日の出焼」の「窯元」(陶芸部長)である萩生田陸曹長によると、陶芸部は昭和28年の部隊移駐以降、駐屯地や演習場の土地が粘土質だったことで、「その粘土を何かに活用できないか」と考え、40年にクラブ活動として発足した。

第7代「日の出焼」窯元 萩生田曹長:本部管理中隊(岩見沢駐屯地提供)

 当初は、楽焼きを作成していたが、部員の熱心な作陶が方面総監部に認められ、酸化・還元焼きができる本焼き窯を設置することになった。窯の新設にあたっては、昭和47年、岩見沢市内で世界的にも有名な焼き物「こぶし焼き」の窯元として有名な山岡三秋先生に「日の出窯」と命名してもらい、ここに「日の出焼」が誕生した。

「日の出焼」のしおり

 活動は、駐屯地創立記念行事で来賓への記念品として、また、隊員家族への陶芸教室も定期的に実施している。

今までの作品が展示されている

岩見沢駐屯地 

昭和27年11月22日、「独立532施設大隊」が金沢市で編成され(のちに「102施設大隊」に改称)、同28年2月28日、保安隊岩見沢駐屯地部隊が到着した。同51年3月25日に12施設群新編、平成8年3月29日には302坑道中隊が新編された。現在、12施設群、岩見沢駐業務隊、2直接支援中隊、345会計隊岩見沢派遣隊、314基地通信中隊岩見沢派遣隊、120地区警務隊岩見沢連絡班、札幌地本岩見沢地域事務所・札幌地域援護センター岩見沢分室などが所在している。

災害派遣と国際平和協力活動

 災害派遣は、昭和28年の「石狩川水害」(派遣人数120人)以来、給水支援や雪害、人命救助などで実施。阪神・淡路大震災(平成7年)で150人、東日本大震災(同23年)で200人、熊本地震(同28年)で100人、北海道胆振東部地震(同30年)では129人が派遣された。一方、国際平和協力活動では、カンボジア派遣大隊(UNTAC)、第1次東チモール派遣施設群(UNMISET)、南スーダン派遣施設隊(第2次、第6次隊)などで派遣された(駐屯地ホームページから)。

第12施設群

 第12施設群 岩見沢市の岩見沢駐屯地に駐屯する陸上自衛隊第3施設団隷下の施設科部隊。本部管理中隊、3個の施設中隊、坑道中隊の5個中隊からなり、群長は1陸佐が充てられ、岩見沢駐司令を兼務する。警備隊区は岩見沢市、三笠市。


◆関連リンク
陸上自衛隊 岩見沢駐屯地
https://https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/jgsdf-post/images/iwamizawa/


<編集部より>

 本日は1面、2面ともに今年、創立70周年を迎える北海道の岩見沢駐屯地を特集しました。この夏、「北の精鋭集団」の組織、人間、それぞれの思いなどを徹底取材した結果の報告です。

 また、今、新聞メディアの最優先課題ともいえる「紙とデジタルの融合」を具現化するため、デジタル版「防衛日報デジタル」でも、部隊改編に伴い、来年春には廃編となる「302坑道中隊」を手厚く紹介したほか、歴史と伝統の28年余りにわたり、この中隊に新編から現在に至るまで在籍を続け、中隊では「レジェンド」と呼ばれるベテラン隊員の素顔など、新聞とは一味違った視点で紹介しています。防衛日報社が今年、力を入れている自衛隊と自衛隊員の「今」を、駐屯地などを通して紹介する企画の一環です。ぜひ、新聞とデジタル版をセットで読んでいただきたいと思います。

 そこで、本日の注目記事を紹介するこのコーナーです。手前味噌ですが、掲載した記事はすべてを紹介したいほどの「突っ込みどころ」満載の内容と思っています。戦闘様相の変化を背景に推進している「ICT施工」、302坑道中隊の取材は最後の検閲に立ち会わせてもらいました。演習場がたまたま粘土質だったことから始まったという「陶芸部」などなど、興味をそそる話題が多岐に渡っていました。

 その中で、とくに読んでいただきたいと思ったのは、2面で紹介した山下司令のインタビューです。自衛隊は一言でいえば、「上意下達」の最たる組織。指示・命令機関、そして武力集団である以上、当然ですが、今回の司令の言葉の中には「組織を支えるのは人間」という意識がものすごく感じられました。

 つまり、実際の装備や部隊の方針などはもちろん最重要ですが、「俺のいうことを聞け」の強制的な関係よりは、隊員をよく知り、コミュニケーションをしっかりと取り、上下の関係の中に強い信頼関係を構築させなければ…という気持ちと捉えました。ミスをしてもその隊員のせいにせず、何が問題だったのかを一緒に考えることで安心感が出る「心理的安全性」の言葉、その保持があってこその挑戦できる雰囲気づくりを一番に考えているように思います。

 そこにあるのは、一人ひとりの隊員がいて組織ができ、そして自衛隊という大きな集団を形成していることにほかなりません。それだけ、かつての自衛隊ではなかなか、難しかったかもしれない隊員個人個人に寄り添う姿勢といえるのでしょうか。ちょっとしたことかもしれませんが、自衛隊もまた、時代を意識する部分が少しだけ、必要になってきたということかもしれません。今回のインタビューの編集をしている中で、山下司令の言葉が胸に沁(し)みました。

今回の特集は日刊紙と一部構成を変更しております。ぜひPDF版で日刊紙もお楽しみください。

→9月14日付(岩見沢駐屯地特集)PDF

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